今日も贈り物が。
神戸のホスピスでお仕事しているミナミちゃん。 ガンで亡くなったアーティストのオハルちゃんがご縁を結んでくれた大切な友達。 「ハルッカ♪と、この季節を満喫してね」 って、手作りのお散歩バッグをオーダーして贈ってくださいました。 作ってくださった方に、ミナミちゃんから思いのこもったメッセージを受け取ったことを教えて頂きました。 ありがとう。 わたしって、ホントにシアワセもんだね。 なんだかおこられちゃいそうなんだけど、つい「ガンになったら良いことばっかり!」 なんて言っちゃうんだよ。 それなりに死にそうに苦しんだりもしているんだけど。 でも、すっごく生きてる!って感じ。 治療のためにいろんな人に出会って、ある人からは 「自分なりの死生観を持つのが大事。」だなんて言われたことがあった。 その時、「死生観なんて死ぬまでのいろんな段階のうちに変化していくはずだから、今は考えません」 って私、言ったんだよな~。 その方は、いつも私を導こうとして、間違いを指摘してくれたり、安心させてくれようとしたりしたんだけど。 やっぱり今思うのは、死と向かい合ったことの無い人は、死を誰にも教えられないんじゃないかな。 私も、死にそうだって思ったことあるけど、まだご臨終になったことはなくて、 それで、大事なのは死生観を持つってことではないな、ってことはわかった。私にとってはね。 ま、死ぬ間際まで色々学ぶことはありそうです。 ![]() 神様、私は今年のサクラを見ました。 黙祷をささげるその時間に、このサクラを見上げていました。 私はサクラまで生きていた。 生きていこう。 そして祈っていこう。
最近は暗いうちに起きだしてハルッカ♪と歩いています。
月がまだ西の空に浮かんでいるような時間です。 それでも、すでに新聞受けには朝刊が差さっています。 ハルッカ♪が排便を済ませて家に帰ってくる頃、それでも朝日はまだ登っていません。 昨日、朝日を待ちながら歩いているとき。。。 「生かされている」という言葉が浮かびました。 この「生かされている」という実感は私の憧れ、待望していたことです。 死を意識するようになって、これまで絵本にしか夢中になれなかった私が、 病気を治したい一心でたくさんの本を読むようになりました。 その中には、余命わずかと自覚した方の生還の記録があります。 そういうリアルな記録は、私の心を強くしてくれました。 それから、死んでいておかしくないという事故から奇跡的に助かった知人の話。 奇跡の生還を経験した人達が共通して「自分は、生かされていると感じた」と言っています。 私も奇跡の生還を熱望しています。 熱望のあまり、生還した方々の真似をして 憧れの「生かされている」を私も実感したことにしようとしているのか。。。 私が感じた「生かされている」は、これまで聞いてきた憧れの「生かされている」と ちょっとニュアンスが違いました。 憧れの「生かされている」は、特別な人が特別な能力をこの世に必要とされているので、 あるいは、その存在がこの世がうまく動くために必要なため。。。、 まぁ、とにかく神様のどこまでも正しいジャッジで この世に必要だから「生かしましょう」と、その人を選び、生かす。 それを感じた人が「自分は生かされている」と言う。選ばれない人は「生かされない」。 私も選ばれて生かされたいから、憧れになりました。 ところが私が昨日感じた「生かされている」は、待望していた憧れのそれではありませんでした。 完璧に防寒して一生懸命歩いてきても、寒さは厳しく、手も顔も冷えきっていて、 待ち遠しい朝日はまだ来ない。 そんなときに「生かされている」という気持ちになったのです。 「生きる」ことを「させられている」という感覚です。 死なせてはもらえない。生まれてきたからには、生きる以外のことはさせません。と神様に決められたような。 強制というか、使命というか。自分の死は、私の思うようにはできないのだと。 ちょっと私は自分の潜在意識に近づいたような気がしました。 憧れの「生かされている」ではなかったけれど、 私の中に湧いてきた「生かされている」という感覚は、信頼できる。 いつか、「もう生かされない」と感じる日が来るだろう。それは誰にでも来る。 私は、いま生きることをさせられている。 その苦行の中で、自分が自由に選んで色々やっている。 昨日は、ルカの命日だった。 ハルッカ♪との散歩はルカ達のお墓がある場所。 お墓参りをした後に、こんな感覚がやってきたのだった。 月曜日の座禅会は、今も続けて参加しています。もうすぐ2年。でも、一緒に座っているおじさん方は16年とか、40年とか、現在の和尚さんも30数年とか 続けているとおっしゃっているので、私はひよこちゃんです。 根性で続けよう!と思っているわけではないのですが、座っていると落ち着いて自分の現在が観られるような 気がして、心のざわつきが収まるので、座りに行きます。 冬の本堂は冷え冷えとしていて、乾燥のせいか、ときどき柱の木がピシッピシーッと音を立てます。 0℃にならなければ暖房は使わないとのことですが、防寒は許されているので身体に障らないように 温かくして座っています。冬は、やっぱり厳しいなと思います。 昨日は急に温かくなりましたが、和尚さんはこういう急な変化の時に亡くなる方が続くので あまり嬉しくないそうです。生き物というのは、限られた狭い条件の中に生息していて、 ギリギリのところで生きているものにとっては、その条件を少しでも越えるということがとても厳しい、と。 それでも、もう桜の木の枝がなんとな~くピンク色になっているのだそうです。 私はまだゆっくり桜の木を見ていませんが、嬉しい気配です。 あの3.11からもうすぐ1年。確か生ぬるい陽気だった気がする。。。 そして、私には病気が再発して。また桜に会えるのかぁ。座禅もよく続けてきたな。 最初は一人で座りに行っていたけど、友達が参加して、いつも隣に座っていて、それも、私の励みになってる。 和尚さん、座れる場を用意してくださってありがとうございます。 来ても休んでも、続けても辞めてもいいという自由をありがとうございます。 静かに聞こえてくる隣に座る友達の呼吸、ありがとうございます。 私の呼吸、ありがとうございます。 ☆昨日の夕方、「葛粉が無い!」とスーパーに歩いて行ったときに、怪しい空と不思議な木に見とれて撮った写真。桜ではありません。 私にとって、足りないものをスーパーにひょいっと買いに行けるということですら、嬉しいことです。 昨日は、隣の富士市まで「毘沙門天大祭」に行ってきました。だるまさんのお祭り。昨年はガンセンターで良くないお話を聞いた後に寄って、だるまさんの力を借りようと たくさんの達磨の山の中から「コレだ!」と思える1つを選びだし、片目を入れていただく祈祷を受け、 大事に腕に抱き抱えて連れて帰ったのでした。それが八号という大きさのだるまさん。 昨年は3.11の大震災の四日後、我が町富士宮が震源地となった震度6強という大地震がありました。 その時、このだるまさんは神棚から落っこちて、頭蓋骨陥没状態になってしまいました。 その時、イヤな予感とともに「だるまさんも祈祷も何のご利益もないのかもしれないな。。。」と思いました。 そして、三か月後に再びガンセンターで、再発の告知。(号泣) だるまさんって手も足も出ない。神棚から落っこちそうになったって踏ん張ることさえできない。 って頭蓋骨陥没のだるまさんを見るたびに、不吉な気持ちになっていました。 今年の毘沙門天大祭では、このだるまさんを供養していただき、本当なら心願成就されたら もう一号大きな新しいだるまさんを買って帰るのですが、 私は、もう一度ゼロからのスタートだと思い、昨年と同じ八号のだるまさんを、今度はあまり迷わずに 目があったひとつをサッと抱き上げて、ちゃんと祈祷を受けて片目を入れてもらってウチに連れ帰りました。 ビニール袋から出し、ウチの空気に馴染ませているうちに、私が夕飯を済ませ 願いを込めながらゆっくり眺めようと思ってだるまさんのところへ戻ると。。。。 既に!またもや!だるまさんが災厄に見舞われているではありませんか!? 祈祷とともに墨で入れてもらった目玉がぶれて、まんまるでなくなって、眉間に縦スジが。 え~!家族に「濡れた手で触らなかった?」と聞いても誰も触っていないと言います。 昨年に引き続き、不吉な。。。私は結局、健康になれないってことか? しばらく落ち込んでいるとハルッカ♪がやってきました。慰めてくれるのね~、優しい子。と思っていると、 濡れたお鼻でクンクンとだるまさんのめだまの墨のにおいを嗅いでいます。 犯人はコイツでした。 だるまさんのにおいを嗅いでは、お鼻の水分で墨を溶かして、ほかのところを汚していたのです。 ハルッカ♪には祈祷が伝わっているのだと思う事にし、今年はこのだるまさんと仲良く、願いをかなえていきます。 新聞記事にこの毘沙門天大祭のことが紹介されているのを読み、昨年の頭蓋骨陥没のだるまさんも 手も足も出なかったんじゃなくて、我々の災厄を背負ってくれたんだなぁ~と思いなおしました。
生きてます!
私は子供の頃から運動が嫌いで、運動不足で病気になったと言っても過言ではないのですが、 最近よく思うのは、病気を治す道は、アスリートが目指すものと近いのではないのかなということ。 昔からフィギュアスケートとボクシングの観戦が好きでよく見ているのですが、 自分だけのある一点を目指し、自分自身を見つめなおし、あの方法もこの方法もやってみる。 あれも違う、これも違うともがきながら、敵に負けない強い武器を探し求める。 最初は希望に燃えて。そのうち、苦しんで、悔しがって、泣いて。 そして、敵は自分自身なのだと気付き、勝つためでなく、悔いのないように 自分にできるせいいっぱいのことをする。 自分が自分らしくあること、自分を認めること、自分を信じ、愛することが大事だと気付く。 そして、この闘いが、闘うためにあるのではなく、 命(肉体・たましい)が与えられたその意味を十分に味わい、感謝し、愛し、楽しむために贈られたものだとわかったとき、 どのような「結果」をつかむのか。。。 運動嫌いの私。競技と言えば犬にさせるアジリティーくらいしか、やったことないけど、 負けても倒れても、美しく跳び、パンチを繰り出す彼らを見ている時、 私は、私も頑張ろう!その先にある小さな一点をつかもう!という気がわいてきて、 「私もアスリート。」なんて思うのです。 跳べないし、強いパンチもないし、リハビリのウォーキングと座禅しかしてないけどネ。 誰かのまねをして行くのではなくて。。。 あれもダメ、これもダメ。 あれならどうだろう? あのやり方でダメなら、このやり方は? 私はダメなのかもしれない。 いや、あきらめたらそこで終わり。 私ができることのせいいっぱいをやろう。 いっぱいいっぱい、そこにたどり着くために、独り言を言って。泣いて。喜んで。 自分だけの「ある一点」を目指して。
みなさま、あけましておめでとうございます。
年々、お正月がお正月らしくなくなっていくような気がするのは、病人の私だけでしょうか^^; 門松とかあまり見かけなくなりました。私が出かけないからでしょうか^^; 昔のあの元旦を迎える独特の張りつめた冷たい空気も、最近は緩んでいる気がします。 私の気が緩んでいるだけ!? でも、今年の私、ある意味とてもとても素晴らしい新年の迎え方でした。 布団の中で目が覚めたら、それだけで、涙が止まらないのです。 生きて目覚めて、新しい年になっている。。。 目覚めて、まだ身体は布団の一部みたいに寝ていたいのに、 私が寝ている間にも、新しい年がちゃんとやってくるというこの確実さ。。。 そんなこと考えたわけでもないのに、 とにかく、おねしょみたいに涙がとまらなかった! 今思うと、私はきっとこの地球、宇宙、時の流れと一体になって 古いものを新しくしようと、涙で浄化した。。。 そんなふうに思っています。 ことし、もっと身体が良くなっていく。そんなふうに思っています。 なので、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
もうすぐクリスマス。
小3の甥っ子に、プレゼントはあげないのですが三年前から「サンタさんからの手紙」を書いています。 パパやママが用意した「サンタさんからのプレゼント」に、私がこっそり書いた「サンタさんからの手紙」を 添えてもらっています。 サンタになりきっているので、偉そうに訓示を垂れて自分でも笑えます。 小3の子供にとって大切なことってなんだろうか?って思いながら、 私がこの子にどういうことを伝えたいかな?って思いながら、 数日かけて書く内容を考えるのですが、 小3の子供も、私の年齢になっても、大事なことっておんなじなんだなぁ~って思います。 あ?私が小3の子と精神年齢が近いってこと? 昨年は、サンタの存在を疑い始めたとの情報を得て、 サンタになりきって 「サンタを信じても信じなくてもいい。 自分が信じたいと思うことを信じきるんだ。 信じるってわかるかい?信じることは大人でも難しいことなんだ。」 と偉そうに訓示を垂れました。 書きながら、病気の自分を思い、サンタ自身がポロポロ泣いてしまったのを思い出します。 パパによれば、今年、クラスの子がみんな「サンタさんはパパとかママだよぉ~」と言っているのに、 我が甥っ子と、もう一人の仲良しクンは「居る!」と言い張っているのだそうです。 うん!今年もサンタ訓示垂れるぞ~。 DearとFromを筆記体で流れるように書くことが信じさせるポイントらしい(カンタン!^^) なんて書こうかなぁ~。 「ウソをついてはいけない」だけは絶対に書けないな。 ウソツキはサンタだもん。
またしばらく書くのをお休みしていましてスミマセン!
心配をかけてしまうだろうなぁ~と思いつつ。 ほとんど毎日、手当て(自然療法による)やウォーキングに明け暮れています。 薬をゴックンと飲むのとは違い、時間も手間もかかるのが手当て。 でも、やったらやっただけの効果を実感できるのが嬉しいです。 気温が下がり、体調は良い日ばかりではないけれど、 「あ、調子いいな。」って感じられる事が増え、それが手当てのおかげだと自覚できるのは本当にうれしい事。 また頑張ろう、って思います。 永い間看護士をしてきた母の協力があり、本当に心強いです。 そして、一緒に歩む仲間の存在も。 キラキラのイルミネーションも無い町。体力不足で紅葉狩りも行く気になれなかったし。 面白い事は何もない闘病中のわが身。 それでも、感動や喜びで涙ぐむことが増えてきた気がします。 いや、きれいごとを並べるつもりはなく、もちろん不安や悲しさで泣くこともあります。 だけど、これまで鈍っていた感覚、気づかなかったこと、そういうのが目覚めて 心が動いたかどうかと認識するより前に、涙がじわ~っと出ちゃっている感じです。 ウォーキングしていて出会うバラの花にあいさつをして、においを嗅がせてもらったりするとき 自然に「ありがとう」と言ったり。 歩けるという幸せ。今日という一日を頂けた幸せ。 ありがたい、ありがたい。そう思うことがとっても多いです。 そう思いながら、私は何十年も生きているような気がします。 それって本当の幸せな人生じゃないかな。 幸せって言えば、コタツが出ました~^^ ハルッカ♪が四辺のうちの一辺を占領して、のびきって寝ています。 家族でコタツを囲む幸せ。 コタツの威力ってすごいね。 うたた寝に注意だけど!!
さてさて何を書こうかな。
ぬいぐるみをちょっとずつ縫っているんですけど、、、疲れるんです。 歩くことからリハビリを始めて、ちょっとは体力がついてきたかなーって思っていたんですけど、 歩くのと、作るのとは全然違うんだってわかりました。 体力が無くなってくると、いろんな部分の疲れや微妙さがわかるようになり、 とにかく一晩中縫っていた時なんか、「ああ、頑張り過ぎていたなぁ」と思います。 それが何のためだったのか? 今は、自分にとって一番大事なことを考える。それから、「死にたくない」ではなく、 「生きたい」と全身全霊が望むための、ホントのホントの自分がさせて頂きたいことを考える。 病気でなければ、私はただただ頑張って、疲れて、 人に喜んでもらって、ほめられて、喜んで、それで幸せだったんだろうな。 それだけでは、「死にたくない」レベルなんだな。 もっともっと生きたいと思うには。。。きっと人間にはいろんな側面とそれぞれに可能性がある。 私の病気は一側面。一生懸命やり過ぎたのも一側面。 まだ開かれていないトコロがいっぱいあるはず。 ぬいぐるみを無理せず縫いながら、この先にあるかもしれない「ホントのホントの私がさせて頂きたいこと」 を探したいと思います。 そうそう、食事療法をしていたら、味覚がとても鋭くなってきて、 果物の農薬とかをすごく感じるようになってしまいました。 我が町は水道水がかなりおいしい方だと言うのですが、今の私にはまったく飲めません。 湧水を汲んできていますが、この湧水こそが今の私には「一番おいしいもの」です。 < 前のページ次のページ >
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